神格
学問の神、文神
祀られている神社
太宰府天満宮(福岡県太宰府市太宰府
北野天満宮(京都市上京区馬喰町)
湯島天神(東京都文京区湯島)
亀戸天神(東京都江東区亀戸町)
荏柄天神(神奈川県鎌倉市二階堂)
天満宮(大阪市北区大工町)
防府天満宮(山口県防府市松崎町)など
神徳
受験合格、学問上達、農業守護、病気平癒、詩歌・文筆・芸能
別称
天神様、日本太政威徳天(にほんだじょういとくてん)、火雷天神(からいてんじん)、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)
系譜
代々、学者の家系であったと言われています
菅原道真(スガワラミチザネ)は「天神様」と呼ばれ、親しまれている神で、代々学者の家系に生まれ、18歳で律令制度の国家公務員試験の科目のひとつである「進士」の試験に合格、23歳で更に上級である「秀才」に合格して文章博士になるなど、学問に非常に優れた人物であった事から学問の神として祀られています。
その為、受験シーズンなどになると合格祈願の神様として多くの人々が参拝に訪れる事から、日本の神様の中で最も若者に知られている神様ではないかと言われています。
生前は順調に出世し、朝廷の中でも三番目の地位である「右大臣」に抜擢されるなど異例の出世をした人物でしたが、それを疎ましく思った藤原時平の讒言(ざんげん)によって失脚し、現在の九州の福岡県にある太宰府へと左遷されてしまいます。
都を去る時に菅原道真は「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠んだとされ、この歌に出てくる、梅の木が道真を追って京都から一夜にして太宰府に飛んできたという「飛び梅」の話は広く知られています。
太宰府に赴任した後、2年後に菅原道真は亡くなり、その2年後に弟子たちの手によって墓所に建てられたのが太宰府天満宮だとされています。
現在では学問の神としての側面が大きく取り上げられている菅原道真ですが、無念の死を遂げた後の京都においては天変地異が続くようになり、道真を失脚させた張本人の藤原時平が病死するなどした為、菅原道真の怨霊の祟りではないかと噂されるなど人々に恐れられる存在となっていました。
その後も様々な厄災が宮廷などにふりかかった事から、菅原道真の怒りを鎮める為に天歴元年(947年)に北野天満宮が創祀されたのでした。
尚、菅原道真は人として記録が残っているにも関わらず、神となった代表的な人物で、道真以外にも「豊臣秀吉」や「徳川家康」など時の権力者となり、神となった人物はいますが、道真は優れた能力をもっていたにも関わらず非業の死を遂げるなどのドラマ性もあってか、現在では秀吉や家康と比較すると、より神として定着した存在となっていると言えるでしょう。