吉備津彦(キビツヒコ)「日本神話の世界」

吉備津彦キビツヒコ

吉備津彦1
神格
軍神
祀られている神社
吉備津神社(岡山市吉備津)
吉備津彦神社(岡山市一宮)
吉備津神社(広島県芦品郡新市町宮内)
田村神社(香川県高松市一宮町)
吉備津彦2
神徳
延命長寿、病気平癒、子育て守護、家内安全、産業興隆、厄除け
別称
大吉備津彦、比古伊佐勢理毘古命、彦五十狭芹彦命(ひこいそきせりひこのみこと)
系譜
孝霊天王の第三子
詳細
吉備津彦(キビツヒコ)は昔話の桃太郎のモデルと言われている神で岡山県岡山市の吉備津神社の祭神として祀られており、この吉備津神社で伝わっている伝説の中で桃太郎と吉備津彦との結びつきを知る事ができます。

吉備津彦の鬼退治のエピソードは吉備国(現在の岡山県)に異国から渡って来た温羅(うら)という名前の鬼が住みついた事から始まります。この温羅と呼ばれている鬼は大変、体が大きく、髪は赤色、その姿は当時の人々には異様な姿にうつったようで性格も凶暴であったと伝えられています。また、記録によると温羅は百済の王子であったとされています。

この温羅が吉備津神社から西北に10kmほどの場所にある片岡山に「鬼ノ城」を築き、暴虐の限りを尽くして周辺に住む人々を苦しめるようになります。
このような緊急の事態に対して鬼を退治する為に朝廷から派遣されたのが吉備津彦で、現在の吉備津神社の付近にある「吉備の中山」に陣を張り、両軍は対峙します。
鬼と吉備津彦の戦いは非常に激しいものでしたが、最終的には吉備津彦の率いた軍が勝利を納め、吉備国に平和が訪れたのでした。
以上のような話が「温羅伝説」と呼ばれているものであり、今も人々の間で親しまれている昔話の桃太郎の元となったものです。

「日本書紀」には吉備津彦は第七代孝霊天皇(こうれいてんのう)の子であるとされ、母の名はヤマトトトヒモモソヒメと言い、崇神天皇(すじんてんのう)の命令により、軍事および行政の長官として吉備国に派遣されたのが吉備津彦であると記されています。
吉備津彦が吉備国を統治するようになった後は、その子孫たちが代々その任に就き、吉備臣(きびのおみ)として吉備国の繁栄に力をつくしたと言われています。

吉備津神社の社伝には吉備津彦は吉備国を平定した後、吉備の中山に「茅葺宮(かやぶきのみや)」と呼ばれる御殿を建設し、そこで政治を行ったと記されています。
その後、吉備津彦は281歳まで生きたとされ、この大変な長寿にあやかって吉備津神社では延命長寿の神としても祀られています。

尚、吉備津神社の背後にある吉備の中山の中腹には吉備津彦の墓と伝わっている墓陵が今も残っています。
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